オズ、はじまりの戦い 〜ナンパで泣いた男の話〜 その1

朝の六本木で、僕はうっすらと、泣いていた。
まさか僕が、アラサーのいい年をした僕が、ナンパがうまくいかなかったことで泣いているとは、誰が思っただろうか。
しかも午前七時の日高屋のカウンターで。店には店員2人と、3組ほどの夜遊びを終えた客たち、そしてカウンターに一人で座る僕がいた。黄色く濁った豚骨スープに映る疲れ果てた自分を、頬を伝う涙の感触を感じながら、今日までのことを考えていた。
俺はなんてナンパが下手くそなんだろうと。そして日高屋のとんこつラーメンのまずさが、僕をさらなる悲しみと苛立ちの混沌としたスープへと投げ込んだ。年の瀬の、2013年12月30日の事だった。

 

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クリスマス前に僕は最愛の女性を失った。その答えは簡単だった。僕がナンパをして他の女性と関係を持っていたことがバレたからだった。ナンパ用のツイッターアカウントによって。
長年連れ添ったあの子を裏切ったのだ。それは当然の帰結だった。本気で結婚を意識し始めていた矢先の出来事だった。あの子は・・・これ以上にない最高の人だった。

ナンパをしてみて半年ほど。しかし僕の心の中には常にその子がいた。(アタリマエのことがアタリマエと思えなくなるほどには僕はこの時終わっていた。)
結局半年ではその子以上の女性とは出会わなかったし、ナンパをしていても、僕にはその子が待つ最高のホームがあるという優越感のようなものがあって、正直ナンパを、本当のほんまのマジの本気でしていなかった。一応ナンパをしている人だけど、はたから見れば適当そのものだっただろう。2013年の初夏あたりからツイッター上にはチームPUAという方たちが台頭し、破竹の勢いでナンパをし、成果を見ない日はないほどだった。その方たちの本気さに比べれば、僕のそれは今思うと目も当てられない。なんせ8月は特に全くやる気もなく0get。ちょいモテの大学生でも1ゲットするぞ。まぁそこまで欲求もなかったし、よく考えたら金もなかった。

しかしながら、あなたにとって愛とは何か?なんて質問には10秒で回答できる自信があった。ナンパで愛を探す?ナンパで彼女を作る?ナンパで最高の相手を見つける?ぶっちゃけ言う、たとえ街中で声を掛けて意気投合し一晩過ごしてセックスできたとしても、クラブで目があった瞬間にこの人しかいないと思ってホテルに行って死ぬほど乱れても、そんな簡単に永遠ともいうような人生最期の愛が手に入ったら苦労しない。…これはあくまで「それまでの僕」が定義していた「愛」の話だけど。だからあえて定義はいわない、自分で探すもんだから。日々変化もするし、公式なんてないから。

で、例えば本気でナンパで彼女つくろうとしてるなら、本気でいいなと思った相手に本気でぶつかれよ、スライム倒すみたいに声かけれそうな、暇そうな、エロそうな女に声かけてんじゃねーよ、声かけてシカトされたからダメだったじゃねーよ、その人に命捧げる覚悟で彼女にしたい相手だったら命かけて食い下がれ、それが彼女を作りたい奴のナンパじゃねーかよ!…とすら思っていた。(とはいえ本当に好きな相手を得るには多少技術やマインドや自己研鑽は必要であることは認めたい。)

色んな人を知って色んなセックスしたり、ただセックスしたいとかいう欲求で行動しているほうが、余程ナンパって行為が定義する性質に沿っていて、まだ共感するって気持ちもあった。もしくはつまらない人生を変える自己啓発や暇つぶしのゲームとしてのナンパか。社会にいる殆どの人が何らかの仕事をしていて、それが正解かどうかがわからないし特にそれについて考えないように、本当はナンパにも正解もなにもないけれど。

そんな中で、ナンパに対して中途半端たる僕が、声掛けでは当然地蔵していることも多かったし(今でもするけど)、そもそも毎週ナンパに出かける時間もなかった。というより言い換えればナンパ用に時間を作るほどナンパ、あるいはそれに付随する欲求がなかった。まぁそんなだから他のナンパしている人から見れば、口だけでまるで成果もなく、適当にツイッターを楽しむ様なキャラクターだったと思う。読み返すとナンパについては的はずれなことをずいぶん言っているな、と赤面している。

大分前置きが長くなったが、そうして過ごしていた12月のクリスマス前、僕の人生は虚構が明るみに出て、突如終了した。再起動不可のクラッシュだった。
僕は期せずして散々行動が伴わないままで批判批評してきたナンパフィールドに立つことにした。自分がナンパでどこまで出来るか試したくなったのかもしれない。
その気持ちは、どこの野山からきたのかわからない、持ち前のプライドの高さによって、俺が本気でナンパしたら一瞬で結果が残せるはず、という強い思いと繋がっていた。そう、新宿初即物語の時のように、本気になれば、と…。


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そして迎えた、2013年12月25日のクリスマス。
19時、渋谷。街はサンタコスプレの女性達や幸せそうなカップルが溢れていた。そこに僕は静かに、しかし胸の中には煮えたぎるナンパへの情念と己のプライドと共に、まるで戦わずして勝ち誇ったかのような、フリーザ様のように降り立った。

日本のクリスマスは平安時代から続く性交の日という伝統がある。その一大性交祭りの、しかも日本最高の性交パワースポットのセクランブル交差点に、ナンパすることだけを目的に僕はやってきたのだった。
セックリスマスにセクランブル交差点にいるフリーザ様、それがその時の僕だった。すでにハゲの最終形態だった。

ナンパで何がしたいか?その時の僕にはただ、「俺だってナンパが出来る」というAKIRAの鉄雄くんみたいなウブな感情と共に、明確な結果が欲しかったのだと思う。言い換えれば結果とは、自分への自信と自負、パワーかもしれない。その結果が自信やパワーをくれると信じていた。ぶっちゃけ性欲だって最盛期に比べたらかなりなくなっていた。AV女優がみんな可愛すぎるから。
重低音を鳴らすイヤホンからはDavid GuettaのPlay hardが耳をつんざくほどの爆音で流れていた。
そして僕の脳裏には、僕がナンパへといざなわれるキッカケとなった、とあるブログの一言が浮かんできた。

「さぁ、ゲームの始まりだ」

これが僕にとっての人生最大級の苦渋の始まりになろうとは、この時全く微塵にも思ってもいなかった…。

 

 



僕がナンパで泣くまであと、5日と12時間。




その2へ続く。