ナンパでエゴが、膜を突き破る時。
2015年12月は、第三週の週末金曜日。クラブの終わった朝六時の六本木の路上、駅への帰り道で、僕は寒風の吹きすさぶ街を静かに歩いていた。気分はもう、「炎のたからもの」のように。
僕は、腹の底に、たった一晩だけで、錆びた鉄のような重苦しいエゴの情念を貯めこんだ。
久しぶりの感覚。エゴの情念は怖い。相手のことを人とも思わない殺戮に近い。思い出すだけで憎悪が走る。
やり逃げする男、金目的の女、自分本位な人間。
しかしそういったものに対して、鈍感になってしまえば楽なものを、なぜ僕はそこまでナーバスにうけとめるのか。
ああ、そういえばこの街は、はじめて訪れた時から、何一つ変わっていないのだった。
■午前0時に戻る。
友達との年末的な飲み会を切り上げて、僕とはそれこそ二年来の付き合いとなるarataくんが六本木で飲んでいるというので、お邪魔させてもらうことにした。
しかし新宿からタクシーが全く捕まらない。隣にBOOYAHのPVに出てきそうな黒人の男がいたので、話しかけると、どうやら彼も六本木に行くらしい。とりあえず意味など置いておいて彼と相乗りすることにした。
女をナンパすることに意味が無いように(語弊は後生で言ってくれ)、彼と一緒にタクシーに乗ることに意味などないのだが…。
BOOYAHと共に10分粘ってタクシーをどうにか捕まえた。乗り込んだタクシーの運転手は投げやりに行き先を聞いてくる。年末感が彼からも漂っていた。白髪の混じったこの運転手にはパーティバーレルを待ち望む、暖かい家庭などあるのだろうか。心の中で自然にこの運転手を軽蔑している自分に気がついた僕は、静かに自省し、窓外を見つめた。
すると、運転手が突然話しかけてきた。
「今日は、一年で一番忙しい金曜日なんですよ」
僕は運転手の思わぬ優しげな話し方に、戸惑いながらも耳を傾けた。
「忘年会終わりでタクシーが三時くらいまで捕まらないでしょうね~。ほら、窓外見てください」
僕が過ぎ去る道路を見ていると、たしかに手を上げた人々がわんさか立っていた。
「…まるで葬儀の列みたいですよね」
運転手は笑いながらそういった。
僕はそれを聞いてぞっとした。
運転手のその言葉には、きっと最大限のタクシーを待つ彼らに対する軽蔑が宿っていたに違いない。
僕の視界に映った、楽しそうに酒を飲んだあとの客達が、一気にこれから死体になろうとする有象無象に変わってしまった。まるで映画アメリカン・スナイパーのラストシーンのように。
運転手からすれば、いわんや、客からしても、主役は自分自身であることにほかならないのだと、ひどくさめざめしい気持ちになった。
人は人を見下すことで、自分なりのアイデンティティを保って生きているのだと。
BOOYAHはまるで我関せずと、スマホをいじっているのだった。
彼もまた、彼自身で主役を張って生きているのだろう。
六本木交差点につくと、僕はBOOYAHと運転手とあっさりと別れた。
何の交わりもない、都会的な数十分だった。
早速arataくんの待つ居酒屋に行くと、他にもナンパ師さんがいて、温かく出迎えてくれた。
スト道さん、エッグさん、heyheyさん、そのお友達(名前失念しました)、あとケインコスギさん(絶対名前違う)。
これでもツイッターでナンパアカウントをはじめて二年半、ずいぶん遠くまで来てしまったと思うことがある。
いつのまにやら、ナンパ師飲み会にいっては、新しくナンパを始めたアカウントの方には、礼儀正しくご挨拶していただき、古株の微妙な空気感でもてはやされ、まるで売れていない中堅芸人のような若干粗末な気持ちになるのだった。
もっぱらそれというのは、アカウントを始めた頃にいた彼女を超える女性と付き合ってもないし、本気でいいなと思う子を落とせるに至ってもないし、こと恋愛においてはナンパしたからと言って僕の恋愛観はむしろ迷宮入りしたからに他ならない。
だからあたらしい方にかしこまって挨拶され、おまけに「知ってます」とか、「ブログ読んでます」と、言われると、俺バックパッカー二年してたけど社会に復帰しようとしたらコンビニバイトしか見つからね~的なエグさが自分の中でモワッと広がるのを、ただただ実感するだけなのだ。
さて、ドカンと出てきた安っぽいレモンサワーをちびちび飲みながら、arataくんと神妙に恋愛観や将来の話をしている。ナンパの話?ん~そうだな、今すぐこのエントリーを読むのをやめて、ザ・ゲームを読んでろ、これは本気で思うことだ。
■午前二時。
居酒屋を後にしてクラブへ向かった。
久しぶりの某クラブは、街の忘年会の勢いをものともせずに、オリジナリティあふれる客数で、広々としていた。その時はそのクラブの見慣れた風景に安心感を覚えたが、三時間後に僕は、フィルターをぶち壊して真理に到達することになった。
とりあえず乾杯し、踊り、いざ久しぶりにナンパしようと思うにも全然言葉がでない。
包み隠さず言うと、正直ここ最近、クラブでは負けていなかった。
だからといって声もかけず、バンゲもせず、非常に省エネに物事を遂行して、なんだかわからないが結果が残るような状態だった。普通に楽しく踊っていれば楽しい人が寄ってきて、楽しく時間を過ごせば楽しく帰る。ただそれだけのことだった。
そもそもクラブで出会いなんて端から期待も信用もしていないし、いい出会いなんてあってもほんの一握りだから(ないなんて言わない、将来の夢と同じで)、過剰に何かを求めることもなく、過剰に自分を作り出すこともなく過ごしていた。
よく言えば無我、悪くいえば停滞だった。よく言えばナチュラル、悪く言えばチキンだった。よく言えばぽっちゃり、悪く言えばデブだった。よく言えば都内、悪く言えば西東京市、そんな感じだった。
しかしその日の某クラブは、そんな甘えを許してくれるような安直な環境ではなかった。
広く開かれた大地にはあまりにも女性が少なく、おまけになんだかみんな、結構な人数がぽっちゃりなさっている。
二年もクラブでナンパしていると分かる、直感的に「今日は収穫ゼロだな。見えるんだよ、ゼロの焦点ってやつが」と、リンゴ農家のおっさんみたいなことをつぶやいた。
恐る恐る、色んな意味で勇気を振り絞って二、三声掛けしてみるものの、これまた予想を超えるほどに彼女たちは至極内気で、内輪で、デリケートだった。
こんなことなら最近行った某箱のほうがよっぽどだと思った。綺麗でスタイルもいい子も多くて、けど、反応もこの箱に比べると遥かにいい、あの箱のほうが。
最近行ったクラブの中でも、群を抜いて逆にハードゲームだったと思ったのは俺だけだろうか。
懐かしくて安心する景色だったはずが、その風景は、まるで大学一年生の時に上京して戻ってきた頃の地元のように、霞んで見えた…。
■午前五時。
クラブが終わった。
この時間にナンパしてもロクなことにならない(向いてない)から、おとなしく帰ろうともおもったが、何だがもやっとしたままの僕の心は、地縛霊の怨念よろしく六本木の路上にとどまろうとしていた。
六本木の路上はまるでアメフトの試合ばりに通り過ぎる女の子にぶつかりナンパをする男と、道化のように着飾ったカナリアみたいな女の子で溢れかえっていた。
相変わらず、その光景は中原中也の「サーカス」を思わせた。
“幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ暗 暗の暗
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん ”
でも僕はその時僕自身がサーカス小屋にいるとは気が付かずに、ただ一人の主人公として歩き出した。
ふわふわタイムに入っているスト道さんと一緒に、目の通りがかったいかにもクラバーな女の子二人組に声を掛ける。
女の子二人組は、夜遊びが大好きで人生の一番楽しい時なう、という大風呂敷を広げたような態度で、まさに上から目線で僕らを扱ってきた。何だがオレオシェイクみたいな女と、青森のホワイト六片みたいな女。なめてくる女になめられたら終わり、という木更津あたりのヤンキーセオリーを上手く張り巡らせ、それでも食い下がった。スト道さんはというと…トークがやばい、そしてちょっと眠そうだった。
軽いセクハラをいれても特に拒否るどころか、ノリの良いホワイトを僕が担当した。
オレオとホワイトの、巧みでありがちで幼稚な腹減ったコールに、普段なら光の速さで放流する僕だったが、なんとなく負けない気もした。きっと見た目は刺さっている、それはというのはもはや二年の経験値からなるただの勘なのだった。ただしこの勘はよく外れる。
そのまま、じゃラーメンなら、という流れで店に入った。勿論ラーメン代はこちらが出すのだが。
そして、スト道さんはというと…やはりトークがやばい、そしてちょっと眠そうだった。
■午前六時。
店に入ると特に食欲のない細身の僕とスト道さんを置いて、ぐらまらすなオレオとホワイトがラーメンを食べだした。二人はトレインスポッティングのドラッグ中毒者のように、ひどくつまらない事で笑い合っている。
あはは、あははと魂のない相槌をうつ僕に対し、スト道さんはというと…トークがやばい、そして結構眠そうだった。
そのうち気が付かないうちに、僕らはどこかのタイミングでミッドウェー海戦を終えていたようで、女の子たちはじゃいこっかと立ち上がった。僕は次の展開を必死にイメージして策を案じていたが、スト道さんはというと…トークが…あれ、眠っている。
そんなこんなで店を出たが、スト道さんは山本五十六バリの察知能力で、既に戦線離脱。スト道目線電報にはこう記されていた「敗戦濃厚ナリ、直ニ離脱セヨ。」
一人それでも彼女たちが楽しそうに話す合間に入り込もうとしたが、もう僕は存在を消されたCIA職員のように無視を決め込まれ、オレオとホワイトから放流された。
オレオシェイクとホワイト六片は僕らといた数十分間を無色透明なものにし、別のクラブへと入っていった。
彼女らの、全てに背を向けて無色透明にするその態度。
久しぶりの感覚だった。
それは自分の能力や外見全てが圧倒的に否定される瞬間だった。
ナンパを繰り返し、麻痺していけば、あるいは、心頭を滅却すれば火もまた涼し状態なれば、どうってことない日常だが、しばらく忘れていたこの、圧倒的無視の感覚に僕は一瞬記憶の海を彷徨った。
ふわっと浮かぶのは、中学生の頃に好きな子に告白して、あっけなくもフラれたあの帰り道。
木枯らしに葉っぱを落とすケヤキ。落ちて車に踏まれたグチュグチュのケヤキの葉っぱの臭いが、乾燥した鼻の奥まで流れ込んで来るようだった。
誰か僕を、ナイーブ畑でつかまえて。
怖い、怖い、怖い。
恐ろしいものにまた出会ってしまった。
自分が道具のように扱われるその瞬間、僕は人間たらしめる精神を湛えた人間ではなく、あくまで彼女らが主人公の、ただのそのピースとして扱われる瞬間。それがどれだけ恐ろしいことか。
ナンパにおける六本木という街が一番怖い瞬間だった。
ここでは、人がエゴを剥きだしにした野生の動物になる。自分の目的のための手段としての彼、彼女を使い、自分の快楽のためにただ正面切って騙し合う。
そしてそんな日常に触れるうち、自分も気がつけばエゴで人を潰し、エゴで騙し、エゴと仲良くする、どうしようもない人間になる。
一番怖いのは、それをやってのけていた自分に気がついたことでもあった。
行動すれば見えてくるあらゆるものの真の姿。
それを見せてくれるのがナンパなのだ。
駅までの遠い遠い帰り道、僕の腹の底には、タクシーに乗った六時間前から、エゴという他人の情念が蓄積され、テキーラで麻痺した胃の粘膜を突き破って地面にボトボトと落ちていった。
ナンパが見るエゴは、胃の膜を突き破って穴を開けただけでなく、脳みそにも金属的な後遺症を残して、僕を今まさにこのブログに向かわせたのだった。
自分が主人公の人生だからこそ、気持よく生きていたいけれど、その気持ちよさは、穴に入れる気持ちよさを超えた、そう、例えばカリオストロの城のルパンや銭形のような、そんな人間になる気持ちよさじゃなかったのだろうか…。
思えば遠くまできたもんだ…。