何処かで萌ゆる山桜を探しに

新幹線がびゅうびゅうと列島を突き進む。僕は仕事で東京から京都へ向かっていた。
四月の半ば、季節は冬から春になり、山の稜線がぼやけた茶色から美しく萌ゆる緑に変わっていた。窓から見える山々の、濃い緑色をした針葉樹林と昔からの広葉樹林の黄緑色のコントラストがうつくしい。そんなコントラストの山、実はそれですら「本当の自然」ではないのだけど、今や大部分の人が田んぼや畑、林業に最適化された山の風景を自然と呼ぶ。
いつからか、そんなことにも気がつかぬくらいに僕は都会の東京の生活になれ、テレビのお天気コーナーや、設えられた街路樹で春だなぁなどとぼやいていた。季節を感じるのは見るというだけじゃなくて、過去の記憶と合わさってそこに在る、と感じる感覚なのかなと思う。

最近、目標や夢はどこへ行ったんだろうと思うことがある。
アラサーになり、仕事をし、それなりに生き、そしてクラブとナンパに出会い、それなりに楽しい日々が続いている。それなりでいることが不幸せだとか、そういうことは思わないんだけど、はるか遠くの目標にむかって本当に進めているのだろうか?なんて思うことがある。
例えば、本当に自分がいいと思う女性に出会い、そしてナンパし、口説き、セ_クスをし、いい関係を築けているか? あるいはセ_クスをしなくともそうなっているのか?

そんなことを考えながら300キロで過ぎ去る田園風景と、モリモリとしたブロッコリーのような山の表情を見ていると、たまにそのモリモリの中程に、白っぽい薄いピンク色の木があることに気がつく。

山桜である。

緑のグラデーションの中でまさに薄紅をさしたようにひときわ目立つ山桜。どこからか種が飛んだのか?はたまた大昔に誰かが植えたのか?それは今となってわからない。けれど、ブロッコリーに浮かぶ可憐で控え目な山桜は、男だらけでごった返すクラブに居る美女のようだった。

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僕の実家は、高度経済成長が終わりを迎えたころに作られた、ニュータウンの中にある。山を切り崩し、そこにみっしりと建てられた一戸建ての同じような家々。その中程に位置している。元々そこらは山や丘なものだから、坂道が多く、それがマウンテンバイクでただただ一気に下るという単純な遊びにもなったし、雪が降ればソリを引っ張り出して兄弟と日暮れまで遊んだものである。

そんな丘の町(笑)で、僕がまだ太ももを隠さないほどのショートパンツを履いて、友達とマウンテンバイクを乗り回して遊んでいた小学校3年生の頃。僕は近所の山に、山桜を見つけた。山桜は山の中腹に位置し、遠くから見えるそこはまるで緑の中のオアシスのようだった。春休み、毎日のように同じ友達と遊び、同じことの繰り返しに自由を持て余していた僕は、同じく暇そうな顔して、血が出るんじゃないというほど鼻くそほじる友達に言った。

「あの山桜まで行ってみーひん?」

めんどくさがりな友達は断る理由を見つけられず、僕の思いつきに同行することになった。山はというと、わずか300メートルほどの高さの小さな山だった。迷ってもまさか死なないし、何度か親父と犬を連れて道なき道を練り歩いて、てっぺんを目指したもんだった。

その日も僕は友達を先導するように道なき道を登った。松やら樫やら小楢が生い茂り、足元はふかふかと落ち葉で作られた地面から、それを覆い隠すように鬱蒼とシダ植物が生い茂っていた。さらけ出した足首やふくらはぎをシダがさらさらと撫でまわす。くすぐったい上に時折チクッと何かが刺さったり皮膚がシュッと切れたりした感覚があった。

山に入ってしまうと当然のことながら、山桜は見えなくなった。入る前に最後に確認した山桜。そこへは、完全に目視での方向感覚だけでたどり着かなければならなかった。なんとなくの太陽の方向と、木々の間から見える景色や全体像でおおよその自分の場所を思い浮かべる。もちろん当時はGoogleEarthもストリートビューもなければケータイもなかった。(そもそも今もストリートビューがあるような町ではないが笑)誰も踏み入らない山には案内看板も、道しるべもないのだった。

歩き出して三十分くらいだろうか、少しだけ開けた場所に出た。休憩しよう、そう言って僕と友達はもっこりと突き出した赤松の根っこと、ゴロっと転がっていた石の上にそれぞれ腰をおろした。

「疲れたなぁ」

「こっちにほんまに桜あるん?」

「…あるやろ。大丈夫やって!」

「うわ、ふくらはぎの裏、ちょっと切れてるわ」

「ほんまや!てゆうかめっちゃ痒い!」

「もう蚊がおるんやで」

そんな他愛のない会話をして俯いた僕はふと、腐りかけの松葉の地面の上に白い棒のような破片が何本も落ちているのを見つけた。僕は瞬時にそれが何か気がついた。

「骨や!」

僕は驚いて慌てて赤松の根っこから立ち上がってそこを離れた。背筋がすっと寒くなった。

「……」

無言で凍りついた僕に友達は言った。

「骨やで!オズくん、はよここ離れよ!!」

僕と友達は慌ててそこから走って山を駆け抜けた。あの生き物を骨にした何者かが追ってくるのではないか、それは獣なのか人なのか?周りは木に囲まれ右も左も分からなかった。でもやはり何かに追われている気がした。後ろを振り返るのすら怖くて、友達が鳴らす足音だけで、とりあえずは一緒にいることだけはわかった。
ただののどかな木漏れ日の場所が、一瞬で死を匂わせる不気味な場所になった。 そうして訳も分からず走り、息も絶えだえになってきた。アスファルトと違ってデコボコしておまけにシダのせいで着地点の見えない斜面を走ったせいで、膝がガクガクとしてくる。そしてあろうことか、急斜面で足を取られ転んでしまった。そのままズルズルと斜面を滑り、僕は必死にその辺に生えていた木の根元に掴まった。そしてどうにか自分の体重を腕一本で支えて止まった。鼻の間近に迫った地面からは湿っぽい土と腐った松葉の匂いがした。肘あたりに擦り傷があるのかそこがジンジンと痛んだ。そしてふと気がついた。

友達がいない。

後ろを走っていたはずの友達の姿はどこにもなかった。山の中にただ一人になっていた。大声を出して友達を呼ぼうとした。
が、ギリギリになって慌てて口を塞いだ。ここで大声を出したらあの生き物を骨にした主が来るかもしれない。それがイノシシの仕業だと思うと体がピクっとなった。そしてそれが得体のしれない人間の仕業だと思うと…これ以上は考えたくなかった。
僕は静かに態勢を整えた。友達はどうしよう?戻って探すか?少し考えたが、言ってもここは小さな山だ。とりあえず下ればどこか住宅街か道には出るはずだった。なので戻るのは現実的ではない気がして、僕はとにかく山を降りることにした。裏切りといえばそうかもしれない。でもその時は、大袈裟だが自分の命が惜しかった。

僕はゆっくりと山を下りだした。湿って腐った落ち葉だらけの斜面に足を取られないよう慎重に進む。急にしんとした静かな山に一人でいるのが怖くなった。心地よい小鳥のさえずりは一転して孤独感と恐怖感を増長させる合図に変わった。
ここで誰かに襲われても助けてもらう相手もなく、死ねば人知れず腐って誰にも見つからないんだろうなと子どもながらに思った。
木につかまりながら下る。掴んだ松の樹皮のヒダヒダが、ぼろぼろと崩れて汗ばんだ手にまとわりついた。耳元をプーン、プゥーンという高い音をさせてハエだかなんだかわからない虫が飛び交う。僕はまだ死んでいない、どうして寄ってくるんだ。もしかして虫は僕が死ぬことを知っていて付いてくるのか?
もはや僕の頭の中はネガティブなことでいっぱいになっていた。地図も磁石も、大した目標も持たずに闇雲に突き進んだ結果がこれである。本当に見たかった山桜はどこかに消え失せ、後に残ったのは身体中の傷と疲労と孤独だった。
木々の隙間からはあの平凡な新興住宅の町並みが見える。あれほど画一的で退屈と思っていた町並みがその時は柔らかで平和な場所にみえた。
春とはいえまだ日暮れは早く、昼間の白くて陰の強い日射しから、少し橙色をした弱々しい日射しへと変わっていた。
あそこに帰ればどこの家からか焼き魚や出汁の香りがし、母や父が作った家庭で魔法のようにご飯やおやつがでてくる。
走馬灯のようにそんなことが浮かんで、それが森の中での希望なのか絶望なのか、大げさかもしれないけれど、その時の僕には死活問題として浮かび上がってきて、僕の目はいつでも大粒の涙を流せるほどにうるうるしていた。

少し斜面に足を取られそうになって、僕はすぐ横の木を掴んだ。
しかしその手の感触がこれまでも松の幹と違っていることに気がついた。僕はその掴んだ幹を見つめた。チョコレートブラウンの少しツヤっとした樹皮。そしてポッカリとなんだか明るい一角だった。

ふと見上げると僕の頭の上には桜が咲いていた。

その一箇所だけがおとぎ話の蓬莱山のように華やかだった。そんなに大きな木ではないし、むしろ華奢でいびつな枝葉だったけれど、その山桜の美しさには嘘がなかった。
ひらひらと数枚ずつ落ちる薄紅の花びらは腐葉土の茶色い地面を、ピンクのドット柄に変えていた。
こんなことがあるのだろうか。ただただ彷徨っただけの山中で偶然にしても出来過ぎた出会いだった。この山桜が目指していた山桜かどうかはわからない。むしろ僕は、あの骨を見つけた時点で瞬時に何者から首を斬られて殺され、とっくのとうにどこかで死んで、途中から死後の世界にいるのかもしれないとすら思った。
僕はその美しさにしばしの時を忘れ、見入った。もはや恐怖や孤独を忘れて…。




どうにか山を出て、置いていたマウンテンバイクのところに戻った頃には、すっかり辺りは薄暗くなっていた。僕の友達は30分も前に下山し、僕を待っていてくれた。友達はズボンの股間あたりに手を突っ込みながら、寒いからはよ帰ろう、とブルブルしながら言った。
僕は山桜を見れたことを嬉しくなって話した。しかし友達はふーんとばかりに関心もなく、鼻くそをほじって食べているのだった。そして骨の話などすっかり忘れてそれぞれの家路についた。

自転車を漕いでいると、どこからかおでんのような香りがした。
飽き飽きしたような、同じ家が並ぶ住宅街の窓からは、オレンジ色の電球の色や白っぽい蛍光灯の光が溢れ、ゴミ出しをするおばちゃんや、かすかなシャワーの音や、車がバックして車庫入れする風景に出会った。

帰宅するとすっかりご飯の用意ができていた。ご飯と昨日の残りの煮物と湯気が立ち込める酢豚が並んでいた。薄汚れた服を見て母は僕に言った。

「あんたどこ行ってたん?」

「山」

「なにしに?」

「山桜見に。見れてんけど途中で骨があってな」

「なんでそんなんみたいねんな。その辺で桜咲いてるやん」

「そやけど」

「骨はタヌキとか勝手に死んだやつやな。はよご飯食べ」

母は一瞬で問題を解決した。
後日もう一度、僕と友達は懲りずに山桜を見に山に登ったが、この時も場所がわからなくなり見ることはできなかった。あれが偶然だったのか、それとももしかしたら幻だったのかは今もわからない。



すぎゆく窓辺の景色は気が付くと都会になっていた。僕がボーっとしている間に新幹線はどうやら京都に近づいているようだった。

いい日旅立ち」のメロディーが新幹線の中に流れた。


あゝ日本のどこかに
私を待ってる人がいる
いい日 旅立ち 幸福をさがしに
子供の頃に歌った歌を道連れに…