冷たい世界と温かいユカ。別れまでの話 その1
年も明けたある冬の日。ポケットに手を入れないと寒さでしびれてしまいそうな日だった。
冬になったばかりの12月には、冬の寒さってこんなもんか、意外と大丈夫じゃん、などと思い、2月頃に来る寒波で冬の本当の寒さを知って絶望する。僕は毎年のようにこんな想いを繰り返している。
だけど不思議なもので、冬のない国に住みたいとかそんな風には思えなかった。きっと来るはずのぽかぽかした春への期待感と、いや、冬に愛する人と過ごせる時間もまた幸せなんだろうと思うから…。
なのに僕は。
ユカ(仮称)とは都心から少し西に出た、大きな駅で出会った。皆が住みたいと思う、あの街の駅で。
おおきな本屋にいった帰り道、駅の改札から出てきた所で、僕はユカと出会ってしまった。
俺の半分ほどのスピードの、ゆっくりとした歩み。アルプスの少女ハイジの白パンみたいに真っ白な肌と、柔らかそうな頬。辺りの光を集めたかのようなツヤっとしたグロスの唇。ハムスターのように愛嬌のある表情で、少し幼い顔立ちに余分な化粧はなく、EarthやLOWRYS FARMが好きそうな女の子だった。
僕は寒さなのか緊張なのかわからない震えを抱えて、思わずユカに声をかけた。
ユカはもちろん少し驚いた様子だった。買い物できていた彼女。その場で少し話をして、行き交う人々の中、メアドを交換した。
ナンパする気はなかった。いや、厳密には当時は自分がナンパしているという感覚はなく、女性に声をかけることなど年に2、3回あるかないかだった。
今思うとあの頃は本当に気になった女性と話してみたい、そんな初期衝動と呼べるようなものを持っていた気がする。バンゲ、和み、ラポール、即なんて言葉を知らなかったし言葉なんてどうでも良かったあの頃。自分のタイプの子から聞き出した連絡先が、まるで宝物のように輝いていたあの頃。
だからその時は、目の前にただすっと彼女が現れ、声を掛けないと後悔する、本当にそう思っただけだった。
メールを通してお互いのことを話した。彼女は20歳の大学生だった。僕たちはお互いに散歩が好きで、映画が好きで、それから一緒に飲みに行こうとなった。
でもここまで美化した僕の物語の裏側には、この子とセ_クスがしたい、という欲求が当然のように横たわっていた。はやくこの子の唇を奪い、服を脱がせてしまいたい、本気でそう思っていた。彼女が僕に抱いてくれた温かい思いを捨て去ることになるなど、微塵も考えずに…。勝手に変換してくれ!僕=オズ=カス。(間違えてもオカズには変換しないでくれ。)
そして彼女はそんな浅はかな僕を試すような、暗く重い現実を抱えていたのだった。
二週間後、同じ駅、同じ改札から彼女は現れた。
時間は午後三時、中途半端な時間にしたのはお互いに公園を散歩をしたかったからだった。
その日も当然、容赦の無い冷気で、冷え性の僕の手は路傍の石のような冷たさだった。
広々とした公園の木々は冬枯れでなにもない。茶色っぽい景色を眺めながら、僕らはなんともなしに散歩をした。彼女は街で声をかけられた人と遊ぶのは初めてだといった。
緊張しているのか、あまり話さない彼女を楽しませようと精一杯色々な話をした。緊張を解かないと心を開けるはずもない。彼女の緊張は目線でわかった。うつむいて、目を合わさない、それがまた可愛いと思った。まだ二十歳なんだ、仕方ない。少し着ぶくれたベージュのコートの上から抱きしめたい気持ちだった。あの重い心の中でなく、ただユカの体だけを…。
ユカは親指以外が隠れるミトンの手袋をしていた。この子は本当にハムスターみたいだと思った。これは小動物系とかいわれる女性に対する僕の最大の称賛だ。ちなみにハムスターに並んでリス系もいる。うさぎ系もいるし、ウーパールーパー系なんかもいて、そんなことどうでもいい。
僕は、冷え性なんだといって、もこもこした手袋で隠れた彼女の手を握った。(今思うと僕はこれをルーティンにしていた。手をつなぐのさえ最初は怖かったんだろう)
「小動物の手を握ってるみたいだ」
僕は思ってることをそのまま口にしてしまいユカは笑った。
いきなり手を握られたことに少しの動揺を見せつつ、彼女は手袋を取り去り、ゆっくりと手を握り返してくれた。毛糸で暖められた彼女のふっくらした手は、まるでそれだけで完結するゆりかごのような安心感があった。あの温かさは今でも思い出す。
彼女は言った。
「ねぇ、なんて呼んだらいい?」
「え、好きなように呼んでくれていいよ」
「じゃ〇〇(僕の下の名前)ちゃんね」
「え?あ、ああ」
まさか5歳以上離れた女の子から、ちゃん付けされると思っていなかった僕は少し大人げない動揺をした。
しかし同時に彼女がすこし普通でない、という直感というか違和感がした…。
それから小一時間ほど散歩した。
でも僕の頭のなかではこの状況を楽しむと同時に、いや、それ以上にユカを自分の家に誘いたいと思っていた。今か今かと探りを入れつつ、手を握り返すユカの反応から、ユカは僕に対して好意を抱いていると判断していた。情緒と論理で頭の中はインテル入ってる状態だった。
夕暮れで陽が傾く。冬の昼は短い。そろそろだった。僕はいった。
「良かったら家で飲もうよ。うちならここから遠くないし」
「…ん〜…」
この時間が一番嫌いだ。
嘘だ。
好きかもしれない。
いえ、好きです。
だって「ん〜」はすでにイエスの合図だから。
そしてユカは言った。
「いいよ」
その2へ、つづく。